My Jazz Life





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In High School Days

高校では吹奏楽班に所属、担当は打楽器でした。しかし我が屋代高校の楽器は数、質とも誠にお粗末で(今では東海地区でもトップクラスの実力とのこと)、野球の応援に行っても、吹奏楽コンクールに出てもお話しになりませんでした。
そこでメンバーと相談、ビッグバンドをやろうと決起しました(顧問の伊藤誠一先生が理解してくれた)。半年の猛練習で文化祭ではグレンミラーやペレスプラードのナンバーをやって大うけでした。野球のスタンドでもこれをやって注目されたものです。最近ヒットした映画「スウィングガールズ」そのままを我々は40年前にやっていたのです。


In College Student Days

青山学院大学入学と同時に高校の先輩の所属するジャズバンドに加入、「クレオール・ジャズバンド」という、トラディショナルスタイルのバンドでした。ドラムが居なくて一年生からレギュラーでしたが(普通は3年生になってやっとレギュラーになれる)、大学から一歩出ると、いろんなスタイルでやったもので、狸穴の当時のソ連大使館そばにあった「ガスライト」では結構いいギャラで演奏したものです。しかしそのギャラもタクシー代で殆ど消えてしまった。
基本的にはトラッドジャズが好きで、ジョージ・ルイスは今でも敬愛する最高のミュージシャンである。


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私の机の傍らに飾ってある。良く出来ている。