GEORGE LEWIS
私が大学一年の時に出合った音楽 ニューオーリンズ・ジャズ。高校時代からジャズに目覚めてはいたが、水道橋のジャズ喫茶「スイング」で聴いたGeorge Lewisは衝撃的だった。この世にこんな美しい音楽があったのかと凄い感動をした。モダンジャズの巨匠、オーネット・コールマンはメンバーにこう云ったそうだ。「君たち、美しいものにふれたかったらジョージ・ルイスを聴きたまえ」と。
学生生活はひたすら彼の音楽を追求する日々であった。出身学部を問われたら「軽音楽学部です」と答えている。(一応民事訴訟法の離婚訴訟を専門に勉強したのですが)


                

ジョージ・ルイス、1900年7月13日生まれ、私と1日違いだ。貧困の家庭に生まれ、体も弱く、その後の彼を予想できる者は居なかった。17歳でプロデビューするがそれで生活できるわけもなく港の荷揚げ人として働きながらクラリネットを吹いていた。1944年、トランペットのBunk Johnsonの誘いもあって翌年にかけて歴史に残る名演を残した。アメリカンミュージックというレーベルでそのアナログレコードは今や超高値がついている(私はその全てを所有している)
ドラムのBaby Doddsの打ち出すビートのドライヴ感が素晴らしい。ブラスバンドの大太鼓がバスドラム、お祭りの太鼓みいたいなタムタムが一個、スネアドラムと16インチのシンバルが一個、ハイハットは無し。こんな簡単なセットで凄いドライヴ感を生み出すのだ。これに魅せられて50年、今でも時折スティックを握る。

ジョージ・ルイスは1960年代に3回来日して全国ツアーを重ね、日本でも多くのフアンをつかんだが、1969年12月31日に病でこの世を去った
私ももう直ぐその歳になる。

GEORGE LEWIS LIVE! 1953」(絶頂期の映像)

そのジョージ・ルイスの後継者が日本に居る。ジョージ・ルイスの愛器はこの人に受け継がれているのだ。大阪市在住でわが国のトップバンドNew Orleans Rascalsのリーダーでクラリネット奏者の河合良一さんである。何度もニューオーリンズを訪れたりして、あちらでも有名な方である。(功績でニューオーリンズの名誉市民になっておられる)、平均年齢75歳のNew Orleans Rascals、数年前に3度目のヨーロッパツアーを果たした

河合さんは現在75歳(内緒なのかなあ)、宝石商を営むかたわらバンド活動50数年、伝統ある早稲田大学ニューオーリンズジャズクラブの創始者なのだ。毎週土曜日梅田駅近くの「ニューサントリー5」でライヴを行なっている。それまでは手紙だけのお付き合いであったが、思い切って河合さんを大阪の自宅に訪ねた。
ニューオーリンズジャズの名所を模した門構えやリヴィングは素晴らしく、いつまでも居たいと思った。しばしのジャズ談義が終わるとワインがでてくるなど、大変な歓待が待っていた。初めてお会いしてこれほど歓迎されるとは、恐縮しきりであった。ジョージ・ルイスの愛器にも触らせていただいたし、お土産までいただいて、それも妻や息子の分まで


河合良一さん、お人柄、演奏、リーダーシップ、素晴らしいです。河合さんのバンドNew Orleans Rascalsは何枚もアルバムを出しています。その中で私が人生終えるときにはこれをかけてもらう。アルバム「New Orleans Rascals Trio At Hotel Monterey Kobe」から「In The Upper Garden」.

「In The Upper Garden」を演奏する最近の河合さん。
左のクラリネットは当時大学の枠を超えて私とバンドを組んでいた後藤雅弘君、未だ現役なのが嬉しいし、羨ましい。



               

河合さんの若かりし頃の名演です。「WHAT A FRIEND WE HAVE IN JESUS」

ジョージ・ルイスの愛器を奏でる河合さんのクラリネット、いつ聴いても涙が出ます。人生の切なさ、悲しさ、苦しさ、いろいろ感じてしまう。しかし演奏が終わるとなぜか吹っ切れるのです。素晴らしい演奏と思うのです
この秋、河合さんとの再会が楽しみだ。(2011/6/16)



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