アメリカツアー日記
バンド結成15周年の珍道中
6/17-25/1990

大橋利寛記
【プロローグ】
「信州にはブルーグラスが似合う」とリーダーの北原さんが云ってブルーグラス・トラッド・バンドという妙な名前のバンドを始めたのが15年前。当時でも平均年齢27歳強というオジン・バンドだった。オリジナルメンバーは4人。バンジョーの橋本快行さんのために元々バンジョーの北原厚さんがギター、ギター屋だった宮川礼二さんがマンドリン、何にも出来ない松下啓子さん(通称マコちゃん)がベースと、インストルメンタルはメロメロだったが、コーラスだけはチョイとしたものと長野の街でデカい面をしていた。
 橋本さんが転勤で長野を去って私(大橋)が入り、クリス・ホスキンスという変なアメリカ人がフィドルをぶら下げてやってきたのが5年前。後に丸山精一さんがヴォーカルで加わり今の形になった。マコちゃんは独身で頑張っているが、15年もブルーグラスをやっていて未だに「レスター・フラットってバンジョー弾く人でしょう」なんて事を云っている。

 去年の内からバンドの15周年にはアメリカに行こうと決めて、どのフェスに行こうかと迷っていたら渡辺サブさんが「行くならコロンバスがいいよ」とアドバイスしてくれたので一発で決まってしまった。レスター・フラットは知らなくても、ナッシュビル・ブルーグラスバンドやセルダム・シーンなら大ファンのマコちゃんが大喜びで旅行手続を全部やってくれることになった。子供の面倒を実家に頼んで私の家内も行くことになり、家内の友人の青木信子さんも加わって総勢8人、成田を飛び立ったのが6月17日のことである。「ブルーグラス・へべれけバンド」と異名をとる平均年齢39歳の「酒びたりバンド旅行」が始った。私にとっては初めてのアメリカ旅行で、予定コースはシアトル、カーボンデール、ナッシュビル、コロンバス、サンフランシスコ。そして目指すコロンバス・フロンティアランチ・フェスの目玉はビル・モンローとチャビー・ワイズ42年ぶりのリニュオン。
 旅のパーソネルは、北原厚(G)41歳、丸山精一(G)42歳、宮川礼二(M)48歳、松下啓子(Bs)?歳、クリス・ホスキンス(F)31歳、大橋利寛(Bj)33歳、大橋仁子、青木信子。
 随分な年よりバンドだがモンローにくらべりゃまだまだ若いと、北原さんがいつも云っている。
【オールナイト・ジャム ― カーボンデール】
 大リーグきちがいの丸山さんの案内でキング・ドームで時差ぼけの目をこすりながら本場の野球を観戦してシアトルに一泊後、空路セントルイスへ。クリスが12人乗りのレンタカーを借りに行っている間に丸山さんはカーディナルスグッズを買い漁る。シアトルではマリナーズファンだと云っていたのにセントルイスではカーディナルスファンになってしまう。器用な人だ。
 でっかいフォードのバンを蹴ってルート64を一路西へ、イリノイ南州境に近い大学の町、そしてクリスの故郷でもあるカーボンデールに着いた時は日本を離れて何日もたっているような気がした。クリスのお母さんが私たちの為にパーティーをやってくれるとは聞いていたが、夕方になって驚いた。何と50人以上もの人が、それも15人ほどが楽器を持ってやってきたのだ。
以前2年ほど私たちのバンドで唄っていたウイル・マーリングと彼女のボーイフレンドでドイツ人のマーク・スト―フェル(ばかうまののマンドリン)、クリスと私のバンジョーが中心になって早速ジャムセッションが裏庭で始まった。ギターの大工さんだの、大学教授のドブロだのと延々朝の4時まで思いつく限りの曲をやってそろそろお開きかと思ったらマークが「ジャムの後で俺にバンジョーを教えろ」ときた。ワタシャ死んだふりをした。
【ナッシュビル ― 思いがけずロレッタ・リンを観る】
 ナッシュビルの初日は空振りだった。アーネスト・タブの店の向かい側の楽器屋が目ぼしいくらいで、有名なライヴ・ハウスのストックヤードはロックっぽかったし、ステーション・インではアマチュアみたいのがやっていたし...。鳥肌が立つ思いがしたのは翌日のオールド・オープリーハウスだった。私はスクラッグスが弾き、レスターが歌ったマイクの前に立ったのだ。思いは同じだったらしくレスター・フラット狂の丸山さんが「楽屋のトイレに行ってきたぞ。あの便器でレスターも用を足したに違いない」と興奮していた。わかるでしょこの気持ち?
 オープリーショーでマイク・スナイダ―を楽しんでいたら次にロレッタ・リンが出てきた。プログラムには載っていなかったので随分得をした気分で後のロイ・エイカフがかすんでしまった。
【フロンティア・ランチ − 豪華フェス】
 ナッシュビルからルート60を北上するとケンタッキーとの州境にWELCOME TO THE BLUEGRASS STATEという看板が立っている。なるほど心なしか緑が濃くなった気がする。宮川さんに言わせるとレキシントンあたりでは本当にグラスがブルーなんだそうだ。
 ルイヴィルで遅い夕食をとりシンシナティーに着いたのが真夜中。モーテルのツイン2部屋に8人が押し込まれて酒も無く、うとうとしたと思ったらものすごい雷の音で起こされてしまった。外は土砂降り、TVの天気予報では2~3日降水確率90%と云っている。「何てこった!」フェスが中止にでもなったら何のために来たのかわからない。それでも行くっきゃないと車を走らせていたらコロンバスに入る頃には雨がやみ、フロンティアランチに着いて遠くからバンジョー音が聞こえてきた時の嬉しかったこと。やはり日頃の行いか...。
 第一日目はラルフ・スタンレー、ナッシュビル・ブルーグラス・バンド、レイモンド・フェアチャイルド、ストーンマン・ファミリー、ピーター・ローワン&ナッシュビル・ブルーグラス・バンド、そしてトリが再びラルフ、ラルフは孫みたいなのが出ていて、11歳と云うこの孫みたいのがワイルドウッドフラワー1曲だけギターソロをやったが聴けたものではなかった。圧巻はピーターとNBBで例のセッションアルバム「ニュームーン・ライジング」のナンバーを中心にビル・キースが加わり、アラン・オブライエンがギターにまわってたっぷりと聴かせてくれた。
 家内の仁子、マコちゃん、青木さんはミュージシャンたちをつかまえてはサインをねだって、写真を撮ってと、いい歳をしてミーハー丸出し。
 2日目は渡辺サブさんの口利きで私たちがショーケースに出ることになってる。前日はゴローショーの元バンジョー、堺さんに偶然会って「明日演るんです」と話したら「僕のバンジョーを使わないか」と云ってくれたので拝借することになった。彼はインディアナに住んでいて10月頃帰るんだそうだ。
 MCが"Bluegrass Trad. Band From Japan"と叫ぶのが聞こえた時、今迄に味わったことのないほどのプレッシャーが来た。しかも1曲目のイントロは私。"Love Please Come Home"、北原さんがいつもの調子で歌いだし、コーラスに入るとワッと拍手が起こり、これでいくらか落ち着けた。丸山さんが唄い、クリスの"Washington County"で予定の3曲を終えるとMCが「何か日本の曲を」と云ったがレパートリーに無いと北原さんが答えると、「彼らは日本語はしゃべるが歌は歌えないとさ」と云って会場を笑わせていた。
 さて2日目の主なところはジョン・ハートフォード・ストリングバンド、ジョンソン・マウンテン・ボーイズ、オリジナル・ディラーズ、ダレル・アドキンス&シルバー・ウインド、ティム・オブライエン&ジェリー・ダグラス、久々にセルダム・シーン&ジョン・スターリング、そしてトリはラリー・スチーブンスン&ダドリー・コンネル。
 ジョンソン・マウンテン・ボーイズはオーセンティックな演奏でいかにもブルーグラスと云った感じ。ダレル・アドキンスはこのフェスのマネージャーを務めるバンジョーピッカー。ティム・オブライエンはもうブルーグラスプレーヤーではなくなっていた。
 この日の目玉はジョン・スターリングとセルダム・シーンだったが、懐かしさは感じてもスゴイと云う気はしなかった。往年のきめ細かさが無いと以前バーチメアで聴いたことのある宮川さんが云っていた。
 オハイオはドライなところが多く、酒に不自由しながら最終日を迎えた。この日はデル・マッカーリー、ドイル・ローソン、ジョン・マッキューエン、ルイス・ファミリー、オズボーン・ブラザース、そしてビル・モンローのセッションだ。
 ビルのミュールスキナー、全盛期に比べたら声は半分、あのフラットしそうでしない危なっかしさが本当に危ない。しかし私にすれば初めて生で観るモンローである。レコードやビデオの世界でしか知らなかった人がそこで歌っていること自体が信じられななかった。これがもしアール・スクラッグスだったら私は即死していただろう。
 4曲目からチャビー・ワイズ、ビル・キース、デル・マッカーリーが加わって豪華なセッションとなった。一度でいいからチャビーが口を閉じて弾いているのを観てみたいというのは私だけではないだろうが、やはりこの夢は叶わなかった。アンコールに "Will You Be Loving Another Man"、ビルとデルの素晴らしいデュオにビル・キースのチョンボつきでこのフェスの幕を閉じた。繰り返すようだが、レコードでしか知らなかったモンローが、オズボーンが、ジョン・ダッフィーが、ラルフが目の前にいると云うだけで信じられない3日間だった。驚いたのはこれらトップミュージシャン皆が「サブって友達が日本にいるよ」と云っていたことだ。


【エピローグ】
 何だかんだと云いながら、それでも酒だけは欠かさない旅だった。英語の出来るクリス、宮川さん、マコちゃんがセントルイスでレンタカーを返すため1日早く発ってしまい、セントルイス空港で落合うはずが、コロンバス発の私たちの飛行機が遅れたためにサンフランシスコまで英語の出来ない5人が心細い思いで何とか辿り着いたのも今となっては良い思い出となった。
 バンドツアー...。皆さんもぜひやってみて下さい。楽しいですよ。
 末筆になりましたが、このツアーにアドバイスを下さったり、フェスに出演出来るよう手配して下さった渡辺三郎さんはじめBOMの皆さんに心からお礼を申し上げます。
 コロンバス・フロンティアランチ・フェスの全てをビデオに収録しました。コピーをご希望の方は大橋利寛までお問い合わせください。

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